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ボクシング元世界王者「川嶋勝重」がアクセサリー職人へ転身した理由とは?
 

元・WBC世界スーパーフライ級王者 川嶋勝重

プロボクサーからアクセサリー職人へと転身を遂げた、元・WBC世界スーパーフライ級王者の川嶋勝重さん。ボクシング経験ゼロから、世界チャンピオンにまで登りつめたという驚きのボクシング人生や、現在の職業であるアクセサリー職人としての意気込みなどを語っていただきました。

川嶋勝重(かわしま かつしげ)
元・WBC世界スーパーフライ級王者

1974年、千葉県市原市出身。元プロボクサー。1997年にプロデビューを果たし、2002年日本スーパーフライ級王座獲得。2004年、WBC世界スーパーフライ級王者となる。その後、2度の防衛に成功。2008年、現役引退。現在は、ボクシング中継の解説や講演を行いながら、夫人が経営するアクセサリー店「Ring」のアクセサリー職人として活躍中。

きっかけは好奇心。20歳を過ぎてのチャレンジ

WBC世界スーパーフライ級王者-川嶋勝重

―川嶋さんはプロボクサーとしてはめずらしく、20歳を過ぎてからボクシングにチャレンジされていますよね。始められたのには、どんなきっかけがあったのでしょうか?

  高校を卒業して、一度地元で就職をしていたんですけど、しばらく会っていなかった小中学校の同級生から突然、電話がかかってきたんです。「俺、プロボクサーになったんだ」って。デビュー戦が決まったというので、友人たちとチケットを買って、横浜まで応援に行きました。そこでボクシングを初めて生で見て、衝撃を受けたんです。小さいころから知っている友だちが、リングの上でスポットライトを浴びて戦っている。その姿を見て、「俺もやってみたい」って思ったことがきっかけです。

  それで、そのボクサーになった友だちと電話をしていたら、「アパートがひと部屋空いているから、ここに住んでいいよ」って言ってくれて。ちょうどそのタイミングで、会社から「姫路で新しい事業を立ち上げるから、2年間、そっちに行ってほしい」と言われていたんです。それが20歳のときなので、姫路から戻ってきて始めるのは現実的ではないと感じて、思いきって会社を辞めて、バッグひとつで千葉市原から横浜に出てきました。

―すごい決断ですね! それまで、ボクシングの経験は一度もなかったんでしょうか?

  なかったんです。中学から高校までは野球部でしたし、社会人でも軟式野球をやっていたので、ボクシングはテレビ中継を見ていた程度でした。ボクシングを始めた時点でも、チャンピオンになりたいというようなことは、まったく思っていなくて。大きな夢や目標があるわけではなくて、ただやってみたいという気持ちだけで始めました。

―始められたばかりのころは、当然ボクシングだけでは生活できませんよね?

  できないですね。横浜のアパートに住み始めてすぐに仕事を探して、お酒の配達のアルバイトをしていました。それを5年間くらい続けて、そのあとはお米の配達のバイトもしましたね。ボクシング一本で生活することはなかなか難しくて、日本チャンピオンになってからも、しばらく続けていました。

  じつは、僕、結構人見知りなんですよ。配達の仕事を選んだのも、配達している間はひとりになれるからなんです(笑)。その時間がすごく好きでしたね。あと、これは結果的にということで、それを狙って仕事を選んだわけではないですけど、配達中のひとりでいるときは、イメージトレーニングもできたので、時間をうまく活用できたように思います。

モチベーションは昨日より少しでも強くなりたい!という気持ち

WBC世界戦-川嶋勝重vホセ・ナバーロ

―1997年にプロデビューを迎えましたが、デビュー戦では、どんなことが印象に残っていますか?

  デビュー戦は、なぜか自信満々だったんですよね。たぶん、まだ負けた経験がないから、勝てるだろうっていう気持ちが強くて。緊張はしましたけど、変なプレッシャーはなかったです。友だちも観にきてくれていたので、かっこいいところ見せてやろうって思っていました(笑)。

  パンチがどうだったというような細かいことは、正直覚えていないんです。まだ無我夢中で打っているだけのようなレベルだったので。勝てた喜びだけを覚えている感じですね。デビュー戦の会場が両国国技館だったんですけど、力士が使うトイレの便座の大きさに驚いてしまって、試合内容よりも印象に残っています(笑)。

―現役時代でもっとも印象に残っているのは、どの試合ですか?

  もちろん、世界チャンピオンになった試合も印象には残っているんですけど、一番は世界チャンピオンとして挑んだ2度目の防衛戦ですかね。その試合は指名試合(チャンピオンに対して一定期間中に義務付けられるタイトルマッチ)で、世界王座認定団体が指名した世界ランキング1位の選手と試合をすることになっているんです。それがホセ・ナバーロ選手でした。この試合は自分の中のベストバウトだと思っています。

  試合中は両目の上が切れてしまって、血まみれだったんです。血まみれといっても、自分の姿は確認できないので、トランクスや相手の体についた血を見て、血が出ているんだなということが、なんとなくわかるという感じなんですけどね。血が目に入ると、油が入ったような状態になってしまうので、片方はほとんど見えない状態で戦っていました。

  結果、1ポイント差でなんとか勝てたんですが、この試合はなぜか「負けても勝ってもどちらでもいいや」という気持ちでした。それまでの試合は、9ラウンドくらいになると、スタミナ的にきつくなることが多かったんです。でも、この試合は全然疲れを感じなかったんですよ。とにかく打ち合っているのが楽しかったんです。

―21歳でボクシングを始めて、そこから世界チャンピオンにまでなられました。経験もなく、スタートもほかの選手と比べて遅いにも関わらず、なぜ、そこまで到達できたと思われますか?

  たまたまだと思います。秘訣みたいなものもないし…。ただ、やり始めるときに、親にも会社の人にもすごく反対をされたんですよね。だから、いつか見返したいなっていう気持ちはありました。あとは、性格的に中途半端なことが嫌いなんですよ。やるかやらないか、勝つか負けるかっていう極端な選択しかできないので、やるからには集中して取り組もうという意識は、いつも持っていました。

―大きな目標は掲げずにボクシングを始めたとおっしゃっていましたが、モチベーションはどうやって維持したんですか?

  少しでもいいから強くなりたいっていう気持ちはありましたね。高校時代の野球部の練習というのが、僕にとっての核になっている気がします。中学のときは内野手だったので、高校でもそのまま内野手をやっていたんですけど、途中で外野手にコンバートしたんです。そのときに、球をひとつ取るにしても、取り方や投げ方を自分なりに考えながら取り組んでみたら、一気に上達したのがわかったんです。

  ボクシングを始めたときも、最初はなかなか認めてもらえませんでしたけど、野球と同じように動きを意識しながら練習をすれば、確実にうまくなれるというのを感覚として持っていたので、集中して練習ができましたね。昨日より今日のほうがうまくなっている、そのことが楽しくて続けていたという感じです。

何度も悩みついに引退…新たな道を模索した1年間

WBC世界スーパーフライ級世界戦-川嶋勝重

―何度か引退を考えられたタイミングがあったようですが、最終的に引退を決意されたきっかけは?

  僕は、チャンピオンから陥落したあとも、3度、タイトルマッチをやらせてもらっているんです。一度チャンピオンではなくなると、「次、負けたら引退だ」と考えますし、マスコミの方たちにもそう発言することで、自分を追い込んで練習することができるんですよね。それでも、結果的に試合に負けてしまって、引退という流れになるんですけど、3ヶ月くらいすると、また戦いたくなっちゃうんです(笑)。それで、また復活してというのを何度かくり返しました。

  でも、最後の試合で、1ラウンドだけ攻めに行けなかったラウンドがあったんです。打ち合わずに、ずっと距離を取っているという状態を続けました。こういうラウンドを自ら作ってしまったことで、もう体力的に限界が近づいているのかもしれないと思ったんです。もっとがんばれたのかもしれないんですけど、一度でも守りのラウンドを作ってしまった自分が許せなかったというのが大きかったですね。それで、正式に引退を決意しました。

―それが2008年の1月ですね。そこからはどんなふうに過ごされていたんですか?

  そこから1年間は、妻の理解もあって、とにかく何もせずに過ごしていました。不安はありましたけど。これからどうなるんだろう? 何をすればいいんだろう?というのは考えていましたね。

  またボクシングをやりたいなという気持ちになったことも、何度かありました。今でもあのとき、復活すればよかったなっていう気持ちがあるんです。もし、そこで復活していたら、今もまだ現役でいられたという自信がありますよ。

お客様と喜びを共有できることが最大のやりがい

WBC世界スーパーフライ級王者-川嶋氏座り

―そういう想いを抱えながら、1年間考え抜いて、まったく別の道を歩まれますね。

  そうですね。妻がアクセサリーショップを経営していたので、そこで修行をして、アクセサリー職人を目指すという選択をしました。ボクサーが引退したら、トレーナーかボクジングジムを開くかというのが、イメージしやすい進路なのかもしれないですけど、僕は、ひとつのことを集中してやりきってしまうと、別のことをしたくなっちゃうんですよね。だから、指導者になるということは、考えませんでした。

―どのくらいの期間、修行をされたんですか?

  まだ修行中ですね。始めてから半年で作品をひとつ作ったんですけど、まだ複雑なデザインのものは作れません。細かい作業も決して得意ではないので、初めのころは思うようにできずイライラすることもありましたね。厳しい師匠(師匠はご夫人)のもと、修行をしている最中です(笑)。

  それと、アルバイトの話題でも出ましたが、僕は人見知りなので、接客に慣れるまで苦労しました。初めは何を話したらいいのかわからなくて。今では、お話も楽しくさせていただけるようになりましたけどね。お客様が喜んでくださっている表情を目の前で見ることができるのはうれしいですし、すばらしい仕事だと思っています。

―川嶋さんはこれまでの人生でさまざまな経験をされていますが、影響を受けた人というのはいらっしゃいますか?

  影響を受けたというと、少し違うかもしれませんが、すごく尊敬している人は、高校3年生のときの担任の先生です。今でも、ときどき飲みに出かけたりするんですよ。見た目がこわいので(笑)、高校のときはかなり恐れられている存在でした。その先生は、試合の前や、僕の人生の節目のようなタイミングで必ず手紙を送ってきてくれるんです。引退のかかった試合に負けたあとも、「お前の人生なんだから、お前が決めろ。周りの意見に流されるな」という内容の手紙をくださって。大きな決断が必要なときに、そういった言葉を見ると、冷静に考えることができるので、本当にありがたいんです。先生の手紙には、僕がほしい言葉がいつも書かれているような気がしますね。

“仕事=楽しい”じゃなくてもいい。人生の楽しみを見つけよう!

川嶋勝重(かわしま かつしげ)会話

―今後のビジョンをお聞かせいただけますか?

  アクセサリー職人として、さらに素敵な作品を生み出していきたいと思っています。イメージを形にするという作業はとても難しい仕事ですが、イメージ通りにできたときの喜びは、何度味わってもいいものなので。自分はもちろん、お客様にもご満足いただけるものを作りたいですね。

  それと、いずれは一般の方が楽しめるボクシングジムを経営してみたいなという気持ちもあります。今、週に一度だけコーチとしてジムに行っているんですけど、そのジムのユーザーの方たちはボクシングを心から楽しんでやっているし、ジムも楽しんでやってもらえるような工夫をしているんです。そういったジムがもっと増えたら、素敵だなと思って。ボクシングから少し離れてみたからこそ、別の視点からボクシングの可能性を広く感じるようになってきたのかもしれませんね。

―最後に、働くことに疑問を持っている人、仕事に悩んでいる人にメッセージをお願いします。

  最近、僕は学校や企業に講演に行く機会もあるんですが、そこで、なりたい職業や、やってみたい仕事がないという話を聞くことが少なくありません。でも、なくてもいいと思っているんです。それって、無理に見つけるものではないじゃないですか。生きていくために、食べていくために、会社員になった。やりたくない仕事だけど、がんばってやっている。それでいいと思うんです。

  ただ、何か人生にプラスになるようなものを持っていると、仕事に打ち込みやすくなる気がします。わかりやすいところでいうと、趣味ですよね。たとえば、「休日にサーフィンに行くために、今週はこの仕事をしっかり終わらせるぞ!」とか。そう思えるだけでいいと思います。気負わずに、目の前の仕事をしっかりやっていけば、それが天職になる場合もありますし。「やりがいのある仕事を見つけなきゃ」「好きなものを仕事にしなきゃ」と思ってしまうと、逆に見つかりにくくなってしまうかもしれませんからね。仕事があまりおもしろくないという人も、仕事とは別の楽しみは見つけられるんじゃないでしょうか。やりたいことがなくて悩む前に、楽しめる何かを見つけてほしいなと思います。

[取材] 高橋秀明、渡辺千恵 [執筆/撮影(インタビュー写真)] 渡辺千恵

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